一気に読んでしまった。
いや、もう圧倒されますね。
「強制収容所」とありますが、この本は怖くないので安心してください。
清らかな感動と人間の崇高さを感じ取れる本。
アウシュビッツの生き地獄から垣間みた天国の姿とは?
心理学者、強制収容所を体験する──
冒頭文で著書のヴィクトール・E・フランクルさんが心理学者だったことが分かります。
記録されているのは人間の感情の機微や、精神面の描写が多く、
極限の環境下に置かれた人の精神はどうなってしまうのかを丁寧に記録してあります。
副題「心理学者、強制収容所を体験する」でも分かりますが、
「アウシュビッツ」から凄惨なイメージを連想してしまい、「夜と霧」は度々本屋で見かけてはいたのですが
食指が伸びませんでした。
(子供の頃「アンネの日記」を読んで感情移入してしまいエラい目にあった)
著者を取り巻く強制収容所の環境はもう沢山語り尽くされているのでここでは触れませんが、
その中でもアウシュビッツは大規模な収容所として悲惨さを極めている状況。
でもフランクルさんの文体は軽やかで淡々としていて、時に織り交ぜられる美しい描写がたまらない。
なんだろう。叙情的で心が惹かれたシーンがある。
例えば「地獄の中で見るつかの間の美しさ」についてこんな記述。
とうてい信じられない光景だろうが、わたしたちは、アウシュビッツからバイエルン地方にある収容所に向かう護送車の鉄格子の隙間から、
頂が今まさに夕焼けの茜色 に照り映えているザルツブルクの山並みを見上げて、顔を輝かせ、うっとりとしていた。
── あるいはだからこそ ── 何年ものあいだ目にできなかった美しい自然に魅了されたのだ。
「第二段階 収容所生活」より
護送列車の中からザルツブルクの稜線を見ているのは、著者自身が「生に終止符を打たれた人間のようだった」と語る、
ミイラのように痩せこけてボロ布をまとった被収容者たち。
動くのもはばかれるほどのぎゅうぎゅう詰めの隙間から、
生きる意味を全て失われた人達が、わずかな隙間から見える緋の稜線に心を奪われている情景。
Sam Ferrara Photography | Unsplash
そしてわたしたちは、暗く燃え上がる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、
鉄色 から血のように輝く赤まで、この世のものとは思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。
<中略>
わたしたしは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」
「第二段階 収容所生活」より
くり返すけど、カウチに腰掛けた詩人が優雅に「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」と感嘆したのではなく、
「生に終止符を打たれた人間」が見ている。
収容所生活にあってもフランクルさんが「壕の中の瞑想」と揶揄する瞑想的な美しさを求めて奔走するシーンが度々登場する。
「壕の中の瞑想」
「見ろ見ろ!スゲーぞ!」と仲間に急かされて連れて行かれた先に見えた夕日のシーン。
今日食べるものもなく、いつも飢えていて、死ぬほど疲れていて、いや、このまま死んだ方がよっぽどましで、
まっすぐ立ち上がることもできない身なのに、
綺麗だからスゲーからと走ってわざわざ日の沈むさまを見に行く。
どの人間にも、心の奥底には高潔で、崇高で、どんな悪党にも浸食されることのない清いものがあるんだと、
ページの最後に著者は触れています。
うん、深いな。
「夜と霧」と「戦場のピアニスト」
「夜と霧」は実話ですがどこか「戦場のピアニスト」を彷彿させるのはなぜだろう。
「戦場のピアニスト」はホロコーストによるユダヤ人ピアニストの受難とナチス将校の交流を描いた映画なのですが
日本ではあんまり知名度なさげ・・。
戦場のピアニストでは主人公のピアニストという立場上、ショパンの夜想曲20番を始め、
著者のフランクルさんの生き方とショパンの生き方に不思議な共通点を発見します。
その絶望と望郷の念の中で数々のピアノ曲を作ってきた人だから。
↓こちらで視聴することができます。
戦場のピアニスト・オリジナル・サウンドトラックより“夜想曲20番” Amazonミュージック
ショパンの曲と言えば誰でも一度は聞いたことがある「別れの曲」や「革命」が有名ですが、
夜想曲やバラードに代表される深遠ででメランコリックな曲の方がショパン“らしさ”がありますね。
特に夜想曲は1番から21番まで全部聴くべき。
↑ 名作中の名作です。
主演エイドリアン・ブロディの憂いのある演技が光る。
カンケーないけど、
「戦場のピアニスト」のモデルになったポーランド人ピアニストのウワディスワフ・シュピルマンさんは、
ポーランドでは有名な作曲家兼ピアニストなのですが、
Wikipediaによると彼の息子さんのクリストファー・W・A・スピルマンは日本とかなりつながりのある方のようです。
日本人の奥様がいてさらに日本文化に精通して大学で教鞭をふるっていたこともあるという
筋金入りの日本びいきの方でした。
ではでは。