テキトーエレガンス

テキトーでも人生うまくいく!

もっと生きたかっただろう名前も知らないあの女性のことを想う


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今日はちょっとシリアスな話。

重い話なので注意。

先日、友人の兄がある特殊なタイプのがんになり、近いうちに手術を受けると言う話を聞いた。

難治性のがんらしく、治療法が確率していないのだという。

家業を継ぎ、一家の大黒柱でもあるという友人のお兄さん。

兄はまだ若いのに、これからどうしよう、悔しい。とこぼしていた。

大丈夫だよ、とありきたりの声をかけることしか出来なくてとても歯がゆい思いをした。


がんなんて自分たちには無縁だと想っていた

今や日本人の二人に一人が生涯のうちに罹患するという「がん」。

TVを観ても有名芸能人のがんの公表が続いた。

昨年では、故川島なお美さんの逝去が記憶に新しい。

実は昨年の同じ頃、Blissの母もがんと診断され手術をしている。

告知を聞いた時はまさに青天の霹靂で、家族はみんなショックに打ちのめされた。

親不孝でロクに恩返しもできていない。母にもしもの事があったらどうしよう。

勝手に遠い世界の話だと思っていた「がん」。それが今目の前にある。

もう無縁な存在などではない。

本当にショックで、ご飯も喉に通らない日が続いた。


×生きている ○生かされている

母のがん告知から手術、抗がん剤治療まではあっという間に過ぎていった。

幸い手術は成功。抗がん剤治療も功を奏してその後の経過も順調だ。

今、母はピンピンしている。

母自身もこれほどまでに「生きる」ことを直視した経験はなかっただろう。

手術前はやらなかったウォーキングに、毎朝のフレッシュな手作り野菜ジュースを飲み続けている。

私が母にあげた食事療法の本を参考にして、

毎日せっせと健康維持に取り組んでいる。

健康でいられることって幸せ。

美味しく食べられる、外で自由に歩く事が出来る。

生かしてもらっている、ありがたい。

感謝をしていると必ず思い出す光景がある。

目の前で死に行く人を見た。

この話は誰にも話した事がない。


生きたかったあの女性のことを想う

Blissの母が手術を受けた医大病院は、がんセンターも兼ねているとても大きな病院だ。

診察室の前の待合室にはいつも、県内外から来た沢山の患者さんがいる。

母の術後の経過を見るため同行していった時のことだった。

入院患者さんが車いすで運ばれていくのを見ていた。

苦しそうに顔を歪めて、背中ではあはあ、と呼吸を荒げている。

年は20代ぐらいの女性だろうか、毛布の隙間から覗く手足はとても白い。

検査室に入ると、女性の呼吸は大きな嗚咽へと変わった。

痛い、痛い、とあらんばかりの声をだして

時折、器具を蹴飛ばす音がして暴れているようだった。

その叫び声にも似た嗚咽はフロア中に響いていた。

いたたまれない雰囲気に包まれた待合室からは、一人、また一人と人が去っていく。

女性の声は更に大きくなり、

気がついたら、医師や看護師があちらこちらからやってきて

周りは慌ただしくなっていた。

その中で、一人、静かに女性を見守る年配女性がいた。

女性のお母さんだ、と私は直感した。

ただじっと処置室を見つめているその姿が忘れられない。

娘さんの上着を握りしめて。

ふと、女性の声が聞こえなくなり、

やがて処置室からストレッチャーが出てきた。

あの女性だった。

さっきの姿とは別人のように、すやすやと眠っている様子でそのまま静かにどこかへ運ばれていった。

「・・モルヒネを打ってもらったのかな。」

待合室にいた誰かがぼそっと言う。

女性の命が尽きようとしていることは明らかだった。


死は誰でも平等におとずれる

その後、がんの終末期に現れる強い痛みのことを知った。

あんなうら若い女性に迫る、最期。

正直怖くなった。

彼女が生きている証、と言ったら言い過ぎかもしれない。

痛みと戦う姿を、見ず知らずの私達に見せてくれた。

生きる事と死ぬ事のせめぎ合いを目の当たりにして、

いかに自分が恵まれて今の環境に甘んじているか

自分を恥じた。

あの出来事を目撃した日は、そんな気分じゃないのに母とスタバへ立ち寄り、

滅多にオーダーしない特盛りのフラペチーノをすすった。

ふわふわの生クリーム、オシャレな店内、賑やかな客に癒された。

死と対極にあるそれら。

生きているってこういうことだと確かめたかったのかもしれない。

それを証拠に、フラペチーノの味なんてろくすっぽ覚えていないからだ。

ただただ、その方が今も健在でおられること、

そして病気に打ち勝つ事ができるようにと祈るばかりだ。

当たり前なことだけど、

人はいつか死ぬ。

死の上に生が成り立っていることを初めて知った。

絶妙なバランスの上で私達は生かされている。

生きたいからと一人で生きることはできないのだと。

宗教とか死生観とかナンチャラを持ち出す気はないけれど、

私達は宇宙の力に生かされている。

どんなに頑張っても結局のところ、宇宙に委ねるしかない。

名前も知らないあの女性の事を想うと

ぼ〜っと毎日を生きている私に鋭い目覚めを与えてくれる。


(c) .foto project

もし自分の寿命があと数ヶ月だったら何をしたい?

と自分に問うことで

自然と自分がやりたいこと、使命みたいなものが残る。

当たり前の日常が宝石のように輝き出す。

生を享受しようじゃないか。

Life Is Beautiful!